サラエヴォ1泊2日の旅 その1
思いつきからのサラエヴォ旅行
2015年6月13日〜14日。
サラエヴォに1泊2日の旅に行ってきました。
サラエヴォと聞いてまず思い浮かぶのはまず有名な「サラエボ事件」でしょうか。世界史の教科書にも出てくる、第一次世界大戦勃発のきっかけとなる事件が起こった町です。
そしてもう1つ、この町は「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」において悲劇が起こった町でもあります。この紛争が起こったのはほんの20年前のこと。ユーゴスラビア解体の混乱の最中、多くの一般市民が命を落とすことになりました。
そんな悲しい歴史を持つサラエヴォの町。この地を訪れたのは完全にただの思いつきで、誰もあまり行かないような町にいこうと友達と話して訪れたという経緯です。かの地に歴史に精通しているわけではないので、あくまで観光目的で訪れた旅行者としての視点でサラエヴォの町を紹介していきたいと思います。
オリンピックスタジアムの墓地へ
実はこの旅、1泊2日というものの滞在時間はわずか24時間強ほどの弾丸ツアー笑 本当は歴史も勉強してからじっくり見て回ると色々感じることができると思うのですが、今回は雰囲気を感じようという目的で回りました。町自体は雰囲気だけなら24時間でも十分に味わえるくらいのサイズ感です。
ホテルにチェックイン後、早速町中を散策。ホテルは旧市街のすぐそばでしたが、周りの雰囲気はこんな感じ。
ホテルに荷物に置いた後、最初に向かったのはオリンピックスタジアムすぐ側にある墓地。おびただしい数の白い墓標に埋葬されているのは、先の紛争の犠牲者たち。あまりにも犠牲者の数が多く埋葬が間に合わなかったため、かつての競技場を墓地にしたとのこと。
こちらの奥に見えるのがスタジアムです。
そしてスタジアムのすぐ側の丘に墓標はそびえ立ちます。あまりの数にただただ圧倒されます。
青空の下に白い墓標が立ち並ぶ景色は美しくも悲しく、戦争の悲惨さをまざまざと感じさせられます。これだけの人数の命が数年で失われたのか、と。あまり写真を撮るのも不謹慎に思われたので、必要最低限に抑え、心の中で静かに追悼の意を表しつつ墓地をあとにしました。
サラエヴォの町中へ
町中から墓地まではやや遠かった(そしてこの日は暑かった)のでタクシーで来てしまったのですが、帰りは駅の方面に向かって歩いて帰りました。特に地図も見ずふらふらと歩いてたのですが、途中でマーケットがありました。
この通り売ってるものは服や日用品から、野菜や肉など様々。本当にローカルな感じのマーケットで、サラエヴォの人々の日常をうかがい知ることができました。
そして更に足を進めると今度は住宅街に到達。
遠くから見るとこのように一見普通の住宅に見えるのですが・・・。
本当になんてことない普通の住宅地だったのですが、こんな風に弾痕が残っているのを見てますます紛争がどれだけこの町の人々の生活に影響を与えていたのか、いかに身近なものであったのかを感じさせられました。
住宅街だけではなく、路地裏の方を歩いていても・・・
やはり弾痕。
自分が呑気に小学生やってた頃に、この町に住んでた同い年の子たちは生きるのも精一杯な状況だったのだなと思うとなんとも言えない気持ちになります。
ラテン橋へ
暑い中時間をかけて中心部に戻ってきたのち、次はラテン橋を見に行きました。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦の勃発するきっかけとなってしまったこのスポット。今はすっかり観光スポットとなっています。
この橋の先のピンクの建物がミュージアムになっていて、サラエボ事件やサラエヴォの歴史について資料などが展示されているそう。ただ営業時間が短めで、行った時にはもう閉まってしまっていました。。
ちなみにこのラテン橋はサラエヴォに現存する橋の中で一番古いもののようです。それにしてもこの日は天気も良く、こういった観光地の写真もきれいに撮ることができました。気温は30度オーバーで暑かったですが。
ラテン橋を見た後は旧市街の散策へと向かいました。
旅程を全部1つにまとめるとちょっと長くなりそうなので、続きはその2にて。