西洋絵画が好きになった話

ヨーロッパに来てから、西洋絵画が好きになった。

 

小さい頃から絵を描くことは好きだったけど、西洋絵画なんて歴史の教科書の文化史コーナーに載っている、テストで覚えるのが面倒くさい情報の1つにしか過ぎなかったので、芸術ではなく記号的に覚える対象としてしか見ていなかった。それは大学生になっても一緒で、バリバリの文系学部だったので西洋美術史の授業もあったけど、履修だけして授業はきちんと聞いていなかった。テストでボッティチェリヴィーナスの誕生について批評せよという問題が出て、絵を見ながらとりあえず一見して分かる特徴的なことを一生懸命並び立てた記憶だけ残っている。

 

そんな私の絵画に対する見方が変わり始めたのはヨーロッパに来てからで、きっかけはオーストリアの美術史美術館を訪れたときだったように思う。訪問したのは2013年だったのだが、まずはその圧倒的に豪華な内装にいたく感動した。ヨーロッパの美術館というのはこんなにも美しいのかと、私の中の美術館=淡白なところというイメージがひっくり返った瞬間であった。

内装4

 

そして更に私がそこで目を引かれたのは、ブリューゲルの絵画だ。ミニチュアのような農民たちが躍動的に描かれているのは当時の人たちの生活を彷彿とさせ、きめ細かに描かれたバベルの塔は圧巻の一言だった。絵画って真剣に見るとなかなか面白いな、と感じたのがこの旅だった。

 

子どもの遊び

雪中の狩人

バベルの塔

 

 次に絵画の力を思い知ったのは、ノルウェーへ旅をしたときのことだ。普通ノルウェーと西洋絵画はあまり結びつかないと思うが、「叫び」で有名なエドワード・ムンクノルウェーの出身であり、オスロにはムンク美術館を始め、ムンクの作品がたくさん展示されている。当時はムンクの作品は「叫び」しか知らなかったし、思い入れも何もなかったのだが、ふらっと立ち寄ったオスロ国立美術館にてムンク生誕150周年の特別企画展がやっていたので、そこで初めて「叫び」以外の作品も見ることになった。そして、引き込まれた。

 

「生命のフリーズ」と言う名前が付けられた一連の連作。作品が並べられたエリアに入った瞬間、私はその空間で釘に打ち付けられたように停止し、絵から目が離せなくなってしまった。なんとも暗く、重厚で混沌とした作品たち。しかしそこにはムンクが捉えた生命が確かに存在していて、朧げな光を放っている、そんな風に感じた。特に私の心を捉えたのが「生命の踊り」という名の絵だ。

www.google.com

* 現地で写真を撮ってなかったので、作品解説のURLを添付

 

なんとも重々しい雰囲気で、ダンスをする人々からは生気を感じないのに、絵画全体から魂の力のようなものが発せられている。そう感じた。解説を読むといろいろな意味が絵画に込められていることが分かるのだが、私は直感的に絵を見るタイプで、溶け合うように密着する男女の表現、ゆっくりと海に滲み出す月光にゾクゾクするような感覚を得た。ああ、ムンクという人には世界がこういう風に見えていて、生命は不安定でかつ揺るぎないものなのだなあと。(ボキャブラリーが少なく、うまく表現できないのが残念である。)

 

この絵だけでなく、生命のフリーズの連作は本当に作者の魂や生命の儚さを感じるので、機会があればぜひ他の人にも見てもらいたい。そしてこのような作品を生み出した背景にはムンク自身の生い立ちが密接に関係しているのだが、また機会があれば自分が今までに得た知識をまとめて書いてみたいなと思う。

 

そして、「ああ、絵画って本当にすごいものなんだな」と心の底から感動し、ある意味叩きのめされたのがイタリアでローマとフィレンツェに行った時なのだけど、長くなりそうなのでこの話もまた今度にとっておくことにする。

 

かくして私はヨーロッパに来て以来、西洋絵画が好きになった。まだまだ知らないことがたくさんあるけど、継続的に、マイペースで学んでいきたいなと思う。

ヨーロッパのレストランのオンライン予約事情

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私がヨーロッパに来て以来、とても好んで利用しているサービスがレストランのオンライン予約だ。ヨーロッパ、特にイギリスでは、ほとんどのレストランがオンライン予約に対応しているのだ。

 

日本に住んでいたのはかれこれ5年も前になるので当時と状況は随分変わっているかもしれないけど、当時はレストランや飲み屋の予約は必ず電話で行なっていた。たまに日本に帰ってどこかレストランや飲み屋を予約しようと思ってWEBサイトを覗くこともあるが、オンライン予約フォームが見つからないことが多い。食べログぐるなびを見るとオンライン予約できる店もそれなりにあることが分かるが、当日受付は行なっていないパターンが多かった。仕方なくお店に電話する羽目になるのだが、多くの場合、前日に電話しても人気のお店は予約が取れない。

 

ロンドンの場合はというと、当日でもオンライン予約は問題なくできるところがほとんどだ。予約も超人気店でない限りはそのまま取れることが多い。(土曜と金曜は埋まってることも多いけれど。)オンライン予約は日本でももっと展開可能なはずなのに、なんであんまりメジャーになってないのかすごく不思議に思っている。自分が最新のサービスに追いつけていないだけだろうか。だとしたら恥ずかしい限りだけど、少なくともヨーロッパの方がオンライン予約にアクセスしやすいのは間違いないと思う。

 

もしかすると、ヨーロッパは移民が多く英語が堪能とは言えない人も多いので、オンライン予約を普及させざるを得なかった事情があるのかもしれない。市役所のホームページなどを見ても、各種手続きの説明は非常に分かりやすく、見やすいデザインでクリアに示されていることが多い。知りたい情報にもリーチしやすい。きっと窓口や電話口での対応を減らすためなのだろう。言語的な問題が発生すれば、コストはさらにかかってしまうのだから。日本の場合はそういう問題が発生することが稀なので、整備する緊急性はないと考えられているのだろうか。それとも、単に興味がないだけなのだろうか。

 

私は個人的に日本語であれ英語であれ電話するのがあまり好きではないので、オンラインで手続きが出来ることは非常にありがたい。そしてたぶん、この傾向は今の若者の方が強いのではないだろうか。スマホに慣れきっている世代にとってはFacebookページやLINEから直接予約する方が、電話よりもよっぽど壁が薄いと思う。

 

ちなみに私がイギリスでよく使っているのはOpen Tableというサービスで、だいたいレストランのホームページのWEBサイトに埋め込まれている。日本でもOpen Tableはサービスを行なっているようだが、どれくらいの人が利用しているのだろうか。最近LINEでもレストラン予約できることになったと聞いたし、もしかしたら若い人はかなりオンライン予約を活用しているのかもしれないけど、実態はどうなのだろう。最新の事情について詳しい人がいれば是非教えてもらいたいものだ。

 

 

ヨーロッパ人のワーキングスタイル

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日本にいた時から、ヨーロッパの仕事のやり方は日本とは全然違うと聞いていた。残業し過ぎて休みも取らない日本人に対して、ヨーロッパ人はワークライフバランスを重視するから残業もしないし、休みも多い、といった具合だ。こちらに来て以来印象ががらっと変わったということはなく、基本的な部分では日本人の想像するステレオタイプなヨーロッパ人が多いのだろうなという印象を持っている。

 

ただ、実際に生でヨーロッパの人たちを観察していると色々なことに気づく。例えば、次のような点だ。

 

1. よく働くマネージャーたち

 

典型的な日本の職場だと、一般社員が猛烈に働いて、管理職の人たちは夜遅くならないうちに帰るパターンが多いと思う。(もちろん、職場次第ではある。) ヨーロッパの場合は逆で、職位が上の人ほどよく働く。例えばオランダで経験した職場だと、一番下のポジションの人は常に定時で帰宅する人が多く、会社に入りたての人をのぞいては仕事への意欲もあまり高くない人たちが多かった。

 

ところがその人たちを管理するチームリーダーたちは、仕事への情熱がある人が多く、忙しい時は夜遅くまで残業することを厭わなかった。(ちなみにチームリーダーの中にも将来を期待されている若者と、行き場なくリーダーをしてる中年社員がいて、この辺りはどこの国でも同じだと思った。)

 

そしてその上のマネージャー、ダイレクターになると、チームリーダークラスよりも更に働くようになる。私の上司であったドイツ人のマネージャーは常に私より帰宅するのが遅かったし、ダイレクターも1日中働いているのではと思うくらいで深夜にメールが来ることもあった。こんな感じで私の印象は職位があがるほど働く人が多いという風だが、もちろんこれは個人差のあることだし、ひとくくりに語るのは良くないと思う。ただ、日本と比べてこの傾向は強いのではないかと思うのである。

 

2. バカンスは文化

 

これは明らかに日本と異なった文化だと感じるのだけれど、ほとんどのヨーロッパ人は年に1、2回は長期休暇を取る。日本でもお盆と年末年始に1週間程度休みを取る人は多いと思うが、ヨーロッパ基準の長期休暇は2〜3週間だ。特にオランダ人の場合はほとんどの人が夏に3週間の休みを取っていた。スペインも同様に8月に3週間ほど休みを取る文化があり、フランスなんかでは夏に3週間、冬のスキー休暇で1、2週間、イースターに2週間と年がら年中バカンスのような人たちもいた。日本だと暗黙の了解のように誰も取りたがらない長期休暇だが、ヨーロッパでは本当に一般的で、誰もそれに難色を示したりしない。それが社会として受け入れられた上でビジネスが成り立っているのだ。

 

なのでヨーロッパで業績管理の仕事をしていると、どこの国も決まって8月の業績が良くない。理由はと聞くと決まって「夏休みの影響」との答えが返ってきて、経営陣も特にそれに対してはツッコミはしない。スペイン人のCOOも毎年自ら8月に3週間の休みを取っているし、日本のような休むことが気まずい雰囲気は皆無である。これは日本が見習わなければいけない点だと個人的に強く思っている。

 

ただ、イギリスでは3週間も休みを取るのはあまり一般的ではないようで、だいたい1〜2週くらいの人が多いようだ。CEOのイギリス人はいつも休暇はだいたい1週間だし、イギリス人のPAは3週間休んでる人を見て、「いいなぁ、3週間も休日なんて…」というコメントも残していた。同じヨーロッパとは言え、島国と大陸の文化の違い、というのはあるのかもしれない。

 

3. 祝日の少ないヨーロッパ

 

ワーキングスタイルとは少し違った切り口になるが、ヨーロッパの国は祝日(Bank Holidayと呼ばれる)が非常に少ない。日本のように毎月何らかの祝日があるのはヨーロッパ人にとって驚きのようで、同僚に明日は日本の祝日だからと説明する際に「また祝日か!日本人休み過ぎ!」と言われることが多かった。確かに住んでいたオランダとイギリスの祝日は、元旦に1日、国王の日に1日(オランダのみ)、イースターに3、4日、5月〜6月に1、2回、8月に1日(イギリスのみ)、あとはクリスマスに3連休あるだけだ。日本のようにゴールデンウィークやお盆休みはないし、年末年始も元旦を除いは稼働している。その代わり有給を使ってバカンスなり、Long Weekendを取るのだ。日本人は休まずに働くことで有名だけども、祝日を入れるとヨーロッパの人たちとも稼働日は思っているほど大きく変わらないかもしれない。

 

日本人駐在員もうちの会社の場合は現地の暦に合わせて働いていて、夏休みや冬休みは自分で有給をつなげてとっている。自由に有給を取れる環境は非常に楽で、休日をピーク時とずらせば混雑を避けることも出来るし、誰かはオフィスにいるから仕事で何かあっても誰かにフォローしてもらうことが出来る。こっちのスタイルの方がずっと効率的だと思うのだけれども、なぜ日本でこのような文化が浸透しないのか本当に謎である。

 

4. カジュアルなコミュニケーション

 

これも環境によって差はあると思うけども、日本と比べて同僚とのコミュニケーションがカジュアルに感じる場合が多い。カジュアルというか、浅く広くコミュニケーションが取られているように感じる。

 

どういうことかというと、日本での社内での人付き合いは「せまく深く」になる場合が多いと思う。私が日本で働いていた時は、同じ部署の人とはそれなりに仲良くなって飲みに行ったりプライベートな話をすることが多かったけど、他部署の人とは個人的に仲がいい場合を除いてオフィスですれ違っても会釈程度で済ませることが多かった。

 

ところが、ヨーロッパに来て以来、1度打ち合わせで顔を合わせただけの人でもオフィスで見かけると笑顔で挨拶して、「How are you?」と聞いたり聞かれたりすることが多くなった。ヨーロッパのオフィスはだいたいコーヒーマシーンが設置されてて、そこで色んな人と顔を合わせることになるのだけど、だいたいコーヒーを入れながらちょっとした会話を楽しむことが多い。今日の天気とか、休日の計画とか、休みどうだったとか、本当にたわいのない話を数分だけ行う。日本の喫煙室みたいなイメージだろうか。(私はタバコを吸わないので分からない) 本当に意味のない会話しかしないけれど、私はこれが結構好きだったりする。なんとなーく相手の人となりを知って、相手に自分のことも知ってもらって、次のコミュニケーションがしやすくなるのだ。そして役職の上下関係なくこのようなカジュアルなコミュニケーションが取られているのが日本と違うなあと感じる。

 

逆に、日本のように仕事終わりにみんなで飲みに行く機会はオランダでもイギリスでも日本にいた頃より圧倒的に少なくなった。日本人だからかなとも思ったけど、仕事が終わるとぱっと帰って家族との時間を過ごしたり、職場以外の友人と出かけたりしている人が多いようだ。その意味では少しドライで、よく言われるように仕事の同僚とプライベートの友人はまた別なのかもしれない。ただ、イギリスの場合はパブ文化があるので、仕事帰りにふらっと一杯みたいなのは割と多くの人がやっているようだ。(私はお酒を飲まないのでよく分からないが) 個人差だけではなく、国や地域によっても色々事情が異なるのかもしれない。

 

関連して少し面白かったのが、オランダで働いている時は「飲み」と「食事」が完全に別のものとして扱われていたことだ。日本人の場合飲み会は食事込みで飲み会なので、最初にこちらのDrinkingに参加した際はみなスナック類しか注文しなくて驚いたのを今でもよく覚えている。そのためお酒の飲めない私は日本のようにせめて食事だけ楽しむということも出来ず、飲みの際はただただコーラを飲み続け、帰ってから夕食をとるという悲しいことを続けていたのである。

 

 

とりあえず4点あげてみたけど、日々ヨーロッパ人と仕事をしていて、ふとした瞬間日本とは違うなと思うことはたくさんある。またの機会に他のことについても書いてみようと思う。

 

 

ヨーロッパでの車の運転

新居探しと並行して行ったのが、車探しだ。幸い車は前任者の先輩が譲ってくれたので、入手まで時間はあまりかからなかった。それよりも問題だったのが、私がほぼペーパードライバーだったことである。大学生のとき以来運転していなかった上に、左ハンドルの右側通行と日本と事情が異なる。緊張している私を心配した上司が、「車の練習がてらベルギーまで一緒に車ででかけてみる?」と誘ってくれた。

 

大変ありがたい心遣いだったのだが、ヨーロッパ初心者の私に衝撃が走る。

 

「え、ベルギー?遠くないですか?」

「いや、1時間もかからないくらいだよ。」

 

1時間という距離が遠いかどうかは人次第だと思うが、私は大学の時もど田舎にある実家の周りをちょろちょろしていただけなので、長時間運転した経験はほとんどない。ましては環境の違うヨーロッパだ。内心ビビりまくりだったけど、上司も助手席についていてくれるということでしぶしぶ了解した。これも訓練である。

 

今でこそヨーロッパの運転はだいぶ慣れて、今はむしろ日本でどう運転すればいいかよくわからないくらいだが、運転し始めの頃は色々と苦労したし、初めて経験することもたくさんあった。その代表格の1つがランドアバウトと呼ばれるロータリーだ。

 

以前に日本でも長野県かどこかが建設するといって話題になっていたが、ランドアバウトというのは要するに交差点の代わりで、信号を設置して四方から通行する代わりに交差点をロータリーにしてしまい、いったんロータリーに入ってしまえば好きなところで曲がって出ていいような仕組みである。言葉で説明するのが難しいが、おそらく多くの人が見たことがあるであろうパリの凱旋門の周りも超大型のランダバウトだ。ちなみに日本ではロータリー交差点とか円形交差点とか言われているらしい。

 

このランドアバウト、最初は戸惑うことも多いのだが、いったん慣れてしまうと楽で、ロータリーの中に入ってしまえば優先になるので他の車を気にせず曲がれたり、道を間違えてもUターンしやすいなどのメリットもある。ただ、大きいランドアバウトだとロータリーの中が車線に分かれていて、その中での車線変更が大変だったりもする。右折する人は一番外側の車線(右側通行の場合)、左折は一番内側に入って出るときに外に移るというルールがあるのだが、ぼーっとしているともう一周しなければいけないことになる。さらに、オランダをはじめとする左ハンドル右側通行の国では時計の反対周りだが、右ハンドル左側通行のイギリスになると時計回りになる。身体が感覚を覚えるまでは慣れないといけないことが多いのだ。

 

他に日本と大きく異なるのが、高速道路の事情だ。日本は高速道路は有料であるのが常だが、オランダの高速道路は基本無料だ。これはオランダ特有の話ではなく、他のヨーロッパ諸国も同じだ。フランスなど一部有料の高速がある国もあるが、全部有料というわけではない。なのでヨーロッパは長距離の車移動が非常に経済的であり、車で旅に出るのがすごく楽しい。また、速度制限も120-130kmあたりが一般的で、ドイツに至っては速度無制限のところも多く、日本よりも運転が快適だ。ずっと日本車に乗り続けた後でドイツ車に乗ってみると加速力の違いに驚くが、こういう環境で運転されるのが前提であればそこに力が入っているのも非常に理解できる。

 

あともう1つ難点をあげるとしたら、縦列駐車だ。縦列駐車なんて日本ではする機会もほとんどなく、教習所でも何番目のポールが見えたらハンドルを切るとかいう応用の効かない教え方しかされなかったけど、ヨーロッパは至る所で縦列駐車が必要となる。路駐するならほとんどは縦列駐車だ。縦列駐車のできない私はオランダ生活では路駐はせず、多少遠かったり高かったりしても必ずガレージタイプの駐車場にとめるようにしていた。出かける時には事前の駐車場チェックを欠かさない。こうすることで何とか3年間逃げ切ることが出来た。ただ、最近ロンドンで引越しをしたのだが、駐車場がアパートについておらず家の前の縦列駐車エリアにとめなければいけないことになってしまった。そんなわけで、ヨーロッパ生活5年目にして目下縦列駐車特訓中である。ヨーロッパで車を運転しようとしている人には、事前に縦列駐車を練習してくることをお勧めする。

 

というわけで上司とともにベルギーに赴き運転指導頂いたわけだが、初めてのヨーロッパ長距離運転ということで終始緊張しっぱなしだった。オランダは道も綺麗で平坦なのだが、ベルギーは高速でも道路状況が良いとは言えない場所もあり、運転もオランダより荒いという印象を持っている。ブリュッセルまで出かけたのだが、帰り道は見かねた上司が運転してくれることになった。助手席で見てても私の緊張が伝わってきたようだ。日本でもそうだが、高速はただ道に沿って走るだけなので運転しやすい。ただ街中に入ると道が雑多で人も多く、とたんに運転が難しくなる。渋滞で前がつまり、車線変更したい車が無理やり割り込んできたり、歩行者が車の間をすいすいと歩いて行ったり、そういうのはこちらでは日常茶飯事だ。オランダのアムステルダムに至ってはおびただしい数の自転車が車の行く手を阻む。ロンドンも街中は常に混み合っているし道も分かりにくいところがあるし、パリも雑多だし、やはりヨーロッパの大都市は車の運転には向かないというのが学んだところである。

 

とはいえ、オランダでは通勤に車が必要だったので車を所持していたし、イギリスでも住み始めて半年少し経ったところで車を購入した。既に述べたような難しさはあるものの、やはりあると大変便利なのである。ヨーロッパはドライブ中の景観がとても綺麗だし、公共交通機関だと行きにくいマイナーな場所にも楽にアクセスすることができる。なので私は車を買って良かったと思っているし、運転があまり上手くない私でも何とかやっているので、ヨーロッパに住んでて購入を迷っている人には是非おすすめしたい。

 

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オランダに入国した時の話

オランダでの生活を開始するにあたって、まずしなければいけないことが住民登録だ。ここで私はいきなりヨーロッパの洗礼を受けることになる。

 

私のオランダでの住まいと職場までは60キロ少々の距離があった。それを車で片道50分くらいかけて通勤していたわけだが、最初から家が用意されているわけではないので、まずは職場の側のウィークリーアパートのようなホテルを拠点にして、家を探すことになる。ところが、オランダは入国後すみやかに仮の住民登録をしなければいけない。そんなわけで、到着した翌日に職場の最寄りの市役所で仮登録を行った。

 

ここからがややこしいポイントなのだが、オランダは地域が州で分かれていて(県といったほうがイメージに近いかもしれない)、職場と住まいは別の州にあった。無事家を見つけ入居も完了し、ようやくオランダでの住所を手に入れたので仮登録をしていた市役所まで本登録の申請をしにいったのだが、「あなたの住所は州が違うので、自分の家の最寄りの市役所で住民登録をしなければいけません。」という案内をうけた。なるほど、行政区が異なるということで理解できなくもない。とりあえずこの場では素直にアドバイスを聞き入れ、別の日に改めて家の近くの市役所にアポをいれ、住民登録をすることにした。(ちなみに近くの市役所は予約制で、訪問するのに1、2週間待たなければいけなかった)

 

満を辞して訪問した家の近くの市役所。オランダで2番目の都市だけあってサイズも大きい。番号札をとってしばらく待ち、ようやく自分の順番がやってくる。事情を説明して住民登録を進めようとしたのだが、返ってきた言葉は次の通り。

 

「仮登録を別の州で行なっているのでうちでは対応できません。仮登録をした市役所で登録を進めてください。」

 

これは最初に職場の近くの市役所で言われたことと違う。一体どちらが正しいのか。。普通新居を構える方で登録をすべきだという気はするが、オランダの事情は分からない。なすすべもなく元の市役所に戻って言われた旨を伝えたのだが、「いや、それは向こうが間違っているので住んでいるところの市役所で申請してください」という回答。2つの役所の言い分が異なってどうすればいいかよく分からない。

 

もしかすると英語での説明が伝わっていなかったのかもしれないと思い、今度はオランダ語の話せる現地採用の日本人人事の人に同伴してもらい、再び住まいの近くの市役所へ。しかし、その甲斐むなしく先方の言い分は変わらない。

 

困り果てた挙句、最終的にはオランダ人の人事担当に相談することに。「それはごめんなさいね、不運だったわね。」という言葉をかけてもらい、すぐさま彼女からオランダ語で市役所に電話をしてもらう。するとどうだろう、すんなり話がまとまり、結局職場の近くで住所の本登録をすると同時に住所変更手続きを行うことになった。最初から現地人に相談すれば良かったと後悔したことは言うまでもない。

 

このように、現地人にサポートしてもらうとすんなり問題が解決するのとは、聞く話によるとよくあるようだ。ヨーロッパには移民が多い。あまりに数が多く、不躾な人も多いため、市役所の手続きにおいても海外からの移住者はなめられたり、高圧的に出られたりすることがしばしばある。そういう意味で、日本人は大丈夫などという意識は持たない方が良い。いくら礼儀正しい民族だ、経済大国だと一部でもてはやされても、日本に興味がない人にとっては単なるアジア系移民に過ぎないのだ。

 

今回住民登録が滞ることで何に一番苦労したかというと、居住を証明できる書類がないと船便で送った引越し荷物を家に届けてもらうことが出来ないのだ。私がオランダに着任したのは8月末だったが、このいざこざで荷物を受け取れたのは11月あたりになってしまった。空輸便はホテルに送ってもらっていたので生活は出来たが、炊飯器がなくて美味しいご飯が食べられなかったのが個人的には何よりもつらかった。

 

相談に乗ってくれたオランダ人の人事の女性は今回の苦労にすごく共感してくれたようで、後日自分の国が迷惑をかけたお詫びとして一冊の本をプレゼントしてくれた。その本の名はというと、

 

"The UnDutchables"

 

オランダ人の性格を面白おかしく書き綴った本。自分たちのことを理解して許してほしい、というよりは単なるネタなのであろう。こうして何かにつけて自分たちを皮肉るオランダ人が私は好きだ。

 

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6年目を迎えるにあたり

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私がヨーロッパで生活を開始したのは2012年の夏が暮れ行くころだった。

 

ヨーロッパ転勤の辞令を受けたのは齢26の時。かねてから希望していた海外勤務のチャンスが突然舞い込んできた時の嬉しさと驚きは、未だ輪郭を伴ったまま心の中に残っている。

 

最初の赴任はオランダ。そこで3年間職務を全うし、4年目からはイギリスへ転勤。瞬く間にイギリス生活も2年が過ぎようとしており、もうすぐ海外生活もまる5年となる。

 

この5年間、日本では決して経験できないようなこともたくさん体験してきた。もはや日本で生活していた時のことは遥か昔のことのようにも感じる。オウシュウ生活が指の先まで浸透し、こちらでの暮らしがスタンダードになってしまったのだ。たまに日本に帰っても、同じ人種が群をなして行動してるのがすごく奇怪に目に映ってしまう。故郷であるはずの国が、まるで遠い昔に訪れたことのある国に再訪したよつな感覚になるのである。

 

そんな中、ふと思い返してみたとき、こちらでの生活の記録というものをあまりつけていないことに気がつく。旅行記はたまにブログに書いたりしていたが、ちょっとした気づきや日常の営み、生活における所感などは紙にもウェブにも書いていない。

 

これはちょっともったいないのでは?

 

海外生活6年目を迎えるにあたり、そんなことを思い出した。いつか遠くない未来に日本に帰任したとき、今度は逆にヨーロッパで暮らしていた時のことを夢のひと時のように感じ、すっかり日本に染めなおされてしまうのだろう。そんな時に、ふとオウシュウ生活を思い出すことができる何かがあった方がいいのでは。そんなことを考えて新しくブログを作ってみた次第である。

 

きちんと長く続けられるかは分からない。ただ、通勤中に黙々と日常を綴るくらいのことは出来るだろう。読者にとって面白いものになるかは分からないけど、とりあえず気の赴くままに続けてみたいと思う。

サラエヴォ1泊2日の旅 その1

思いつきからのサラエヴォ旅行

2015年6月13日〜14日。

サラエヴォに1泊2日の旅に行ってきました。

サラエヴォと聞いてまず思い浮かぶのはまず有名な「サラエボ事件」でしょうか。世界史の教科書にも出てくる、第一次世界大戦勃発のきっかけとなる事件が起こった町です。

そしてもう1つ、この町は「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」において悲劇が起こった町でもあります。この紛争が起こったのはほんの20年前のこと。ユーゴスラビア解体の混乱の最中、多くの一般市民が命を落とすことになりました。

そんな悲しい歴史を持つサラエヴォの町。この地を訪れたのは完全にただの思いつきで、誰もあまり行かないような町にいこうと友達と話して訪れたという経緯です。かの地に歴史に精通しているわけではないので、あくまで観光目的で訪れた旅行者としての視点でサラエヴォの町を紹介していきたいと思います。

オリンピックスタジアムの墓地へ

実はこの旅、1泊2日というものの滞在時間はわずか24時間強ほどの弾丸ツアー笑 本当は歴史も勉強してからじっくり見て回ると色々感じることができると思うのですが、今回は雰囲気を感じようという目的で回りました。町自体は雰囲気だけなら24時間でも十分に味わえるくらいのサイズ感です。

ホテルにチェックイン後、早速町中を散策。ホテルは旧市街のすぐそばでしたが、周りの雰囲気はこんな感じ。

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 ホテルに荷物に置いた後、最初に向かったのはオリンピックスタジアムすぐ側にある墓地。おびただしい数の白い墓標に埋葬されているのは、先の紛争の犠牲者たち。あまりにも犠牲者の数が多く埋葬が間に合わなかったため、かつての競技場を墓地にしたとのこと。

こちらの奥に見えるのがスタジアムです。

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そしてスタジアムのすぐ側の丘に墓標はそびえ立ちます。あまりの数にただただ圧倒されます。

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青空の下に白い墓標が立ち並ぶ景色は美しくも悲しく、戦争の悲惨さをまざまざと感じさせられます。これだけの人数の命が数年で失われたのか、と。あまり写真を撮るのも不謹慎に思われたので、必要最低限に抑え、心の中で静かに追悼の意を表しつつ墓地をあとにしました。

サラエヴォの町中へ

町中から墓地まではやや遠かった(そしてこの日は暑かった)のでタクシーで来てしまったのですが、帰りは駅の方面に向かって歩いて帰りました。特に地図も見ずふらふらと歩いてたのですが、途中でマーケットがありました。 DSC_8827.jpg

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この通り売ってるものは服や日用品から、野菜や肉など様々。本当にローカルな感じのマーケットで、サラエヴォの人々の日常をうかがい知ることができました。

そして更に足を進めると今度は住宅街に到達。
遠くから見るとこのように一見普通の住宅に見えるのですが・・・。

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近づいてみるとなんと弾痕が。 DSC_8834.jpg

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本当になんてことない普通の住宅地だったのですが、こんな風に弾痕が残っているのを見てますます紛争がどれだけこの町の人々の生活に影響を与えていたのか、いかに身近なものであったのかを感じさせられました。

住宅街だけではなく、路地裏の方を歩いていても・・・ DSC_8838.jpg

やはり弾痕。

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自分が呑気に小学生やってた頃に、この町に住んでた同い年の子たちは生きるのも精一杯な状況だったのだなと思うとなんとも言えない気持ちになります。

ラテン橋へ

暑い中時間をかけて中心部に戻ってきたのち、次はラテン橋を見に行きました。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦の勃発するきっかけとなってしまったこのスポット。今はすっかり観光スポットとなっています。 DSC_8842.jpg

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この橋の先のピンクの建物がミュージアムになっていて、サラエボ事件サラエヴォの歴史について資料などが展示されているそう。ただ営業時間が短めで、行った時にはもう閉まってしまっていました。。

ちなみにこのラテン橋はサラエヴォに現存する橋の中で一番古いもののようです。それにしてもこの日は天気も良く、こういった観光地の写真もきれいに撮ることができました。気温は30度オーバーで暑かったですが。

ラテン橋を見た後は旧市街の散策へと向かいました。

旅程を全部1つにまとめるとちょっと長くなりそうなので、続きはその2にて。